山形城 (やまがたじょう)
霞城公園の玄関口として、伝統の木造工法で美しく復元された山形城二ノ丸東大手門
画像出典: Wikimedia Commons (CC BY-SA / 作者: Wikimedia Commons Contributor)
「山形城」は、最上家初代・斯波兼頼によって築かれ、戦国時代の名将・最上義光によって大改修された奥羽地方最大級の平城です。霞が立ち込めて城を完全に隠したという伝説から「霞城(かじょう)」の別名を持ちます。二ノ丸堀の内側だけでも他の名城を凌ぐ広大な敷地面積を誇り、現在は「霞城公園」として市民に親しまれ、復元された東大手門や一文字門などの美しい木造遺構が往時の姿を伝えています。
お城の基本スペック
一次史料や公式サイトなどから調査したお城の基本情報です。
| 天守構造 | なし(大改修時も天守は築かれず、二ノ丸の御殿と本丸・二ノ丸の多数の櫓や門で構成) |
|---|---|
| 築城年 | 1357年(延文2年)に築城、最上義光により1600年代初頭に大改修 |
| 初代城主 | 斯波兼頼 |
| 有名城主 | 最上義光、鳥居忠政、水野忠邦 |
| 最終城主 | 水野忠精(山形藩主各家) |
| お城の役割 | 最上家57万石の本拠地、出羽国統治の中枢、江戸時代の山形藩庁 |
| 廃城の経緯・時期 | 明治維新後に建物はすべて解体され、堀も一部埋め立てられたが、現在は霞城公園として整備され復元が進行中 |
| 城域規模 | 三ノ丸まで含めた総面積は約235万平方メートル |
歴史解説・深掘り
関ヶ原の戦いに伴い発生した「慶長出羽合戦」において、最上義光は上杉景勝の重臣・直江兼続率いる大軍の侵攻を受けました。最上軍は長谷堂城などで上杉軍を足止めし続けましたが、その際、本城である山形城の周囲には不思議な霧(霞)が数日間にわたって立ち込め、敵軍から城の姿を完全に隠して防衛を助けたという伝説が生まれました。この逸話から山形城は「霞城」と呼ばれるようになり、最上義光が山形を守り抜いた象徴的なエピソードとなっています。