鳥取城 (とっとりじょう)
「鳥取城」は、因幡守護・山名氏によって久松山(きゅうしょうざん)に築かれた、山城から平山城への変遷を示す壮大な城郭です。羽柴秀吉による日本戦史上最も苛烈な兵糧攻め「鳥取の渇え殺し(かつえごろし)」の舞台として広く知られています。江戸時代には鳥取藩32万石の池田氏の居城となり、山麓部が近代城郭化されました。現在も残る数多くの石垣群の中でも、天球丸に設けられた国内唯一の球面石垣「巻石垣(まきいしがき)」は、地すべり対策として築かれた独特の曲線美を誇る貴重な土木遺構です。
お城の基本スペック
一次史料や公式サイトなどから調査したお城の基本情報です。
| 天守構造 | なし(山上ノ丸の二重櫓を天守として使用していたが落雷で焼失、以後は再建されず) |
|---|---|
| 築城年 | 天文年間(1532〜1555年)に築城、慶長年間から江戸初期にかけて大改修 |
| 初代城主 | 山名誠通 |
| 有名城主 | 吉川経家、宮部継潤、池田長吉、池田光政 |
| 最終城主 | 池田慶徳(鳥取藩主池田家) |
| お城の役割 | 因幡国の統治中枢、鳥取藩32万石の本拠地 |
| 廃城の経緯・時期 | 明治期の廃城令により建物はすべて払い下げ・解体されたが、現在は久松公園として整備され石垣や門の復元が進む |
| 城域規模 | 久松山山頂の「山上ノ丸」から山麓の「二ノ丸」「三ノ丸」に及ぶ大規模な城郭 |
歴史解説・深掘り
鳥取城の「天球丸(てんきゅうまる)」にある「巻石垣」は、崩落の危機に瀕した石垣を補強するため、江戸時代後期の1807年(文化4年)頃に築かれた球面を持つ石垣です。背後の山からの土圧を分散して受け止めるため、半球状に石を積み上げるという他に類を見ない画期的な工法が採用されました。この国内唯一のユニークな円形石垣は、平成の修復工事によって往時の姿が見事に復元され、鳥取城を代表する見どころとなっています。