武田氏館 (たけだしやかた)
武田神社が創建され、周囲に美しい堀と土塁の遺構を残す武田氏館跡
画像出典: Wikimedia Commons (CC BY-SA / 作者: Wikimedia Commons Contributor)
「武田氏館(躑躅ヶ崎館)」は、戦国時代の名将・武田信虎、信玄、勝頼の3代が甲斐国を統治した平地の居館です。信玄の有名な格言『人は城、人は石垣…』を象徴するように、巨大な天守や石垣はあえて築かれず、シンプルな土塁と水堀で囲まれていました。現在は信玄を祀る「武田神社」が創建され、石垣や堀などの一部遺構が保存されています。
お城の基本スペック
一次史料や公式サイトなどから調査したお城の基本情報です。
| 天守構造 | なし(中世の居館構造であり、天守や石垣は元々持たず、堀と土塁のみで構成) |
|---|---|
| 築城年 | 1519年(永正16年)に完成し、信虎が石和から居館を移す |
| 初代城主 | 武田信虎 |
| 有名城主 | 武田信虎、武田信玄(晴信)、武田勝頼 |
| 最終城主 | 武田勝頼 |
| お城の役割 | 武田氏3代の居館、甲斐国の政治・軍事の中心地 |
| 廃城の経緯・時期 | 1581年(天正9年)に勝頼が新府城へ移る際に廃止され、1582年の武田氏滅亡時に建物が焼失。現在は武田神社が創建されている |
| 城域規模 | 主郭部分:東西約180m、南北約180m |
歴史解説・深掘り
武田信玄は戦国大名の中でも屈指の軍事力を誇りましたが、生涯を通じて天守や石垣のある近代城郭を本拠地とせず、平地の館(躑躅ヶ崎館)で暮らしました。信玄の「人は城、人は石垣…」という言葉は、防衛設備よりも人的団結の重要性を説いたものとして知られます。館の背後には、いざという時に立てこもるための険しい山城「要害山城」が配置されており、平時には政務と商業の利便性を優先し、戦時には要害へ移るという二段構えの非常に合理的な城地選定が行われていました。