高遠城 (たかとおじょう)
信州伊那谷の喉元に位置し、武田信玄が山本勘助に命じて大改修を行った堅城です。武田家滅亡の引き金となった「高遠城の戦い」において、信玄の五男・仁科盛信が織田信忠の5万の大軍に対しわずか3,000の兵で徹底抗戦を繰り広げた悲劇の舞台として知られています。現在は「天下第一の桜」と称される桜の名所です。
お城の基本スペック
一次史料や公式サイトなどから調査したお城の基本情報です。
| 天守構造 | なし(本丸御殿や土塁主体の戦国期城郭) |
|---|---|
| 築城年 | 1545年(天文14年)に武田信玄が攻略し、南信濃支配の拠点として大改修 |
| 初代城主 | 高遠頼継、のちに武田信玄が山本勘助に命じて大改修 |
| 有名城主 | 仁科盛信(武田信玄の五男)、内藤清枚(内藤家初代) |
| 最終城主 | 内藤頼直(内藤家) |
| お城の役割 | 武田氏の伊予・織田・徳川防衛の最前線拠点、江戸時代は高遠藩3万石の政庁 |
| 廃城の経緯・時期 | 1872年(明治5年)廃藩置県により廃城。その後、旧藩士らにより桜の植樹が進み「高遠城跡公園」として整備 |
| 城域規模 | 標高約800mの河岸段丘上、東西約250m、南北約350m |
歴史解説・深掘り
1582年、織田信長による武田征伐の際、織田信忠率いる5万の軍勢が伊那地方の要衝・高遠城を包囲しました。城主で信玄の五男である仁科盛信は降伏を断固拒否し、降伏勧告に来た僧侶の耳と鼻を削ぎ落として追い返すことで決死の抗戦の意思を示しました。わずか3,000の兵で織田軍を迎え撃ち、本丸に敵が乱入する凄絶な白兵戦が展開されましたが衆多の前に落城。盛信は自らの腹を切り裂いて果てました。武田勝頼の逃亡・滅亡を決定づける戦いとなりましたが、その猛烈な抵抗ぶりは織田軍を大いに驚嘆させました。