高岡城 (たかおかじょう)
「高岡城」は、加賀藩2代当主・前田利長が1609年(慶長14年)に自らの隠居城として築城した平城です。現在の「高岡市」という都市名の由来・発祥の地でもあります。利長の客将でキリシタン大名であった高山右近が設計(縄張り)を行ったと伝えられ、お城の総面積 of 約3割が水堀という、極めて水堀の美しい平城の傑作です。本丸や二の丸など5つの郭がそれぞれ独立した島のように水堀で囲まれており、橋を落とせば個別要塞となる先進的な防御構造を持っています。一国一城令により完成からわずか6年で廃城となりましたが、前田家は有事への備えとして城跡に米蔵等を置いて密かに維持・保全しました。そのため土塁や広大な水堀がほぼ完全に当時の姿のまま奇跡的に保存され、現在は「高岡古城公園」として親しまれる国の史跡となっています。
お城の基本スペック
一次史料や公式サイトなどから調査したお城の基本情報です。
| 天守構造 | 石垣や本格的な建造物が造られる前に廃城となったため、天守は存在しない。 |
|---|---|
| 築城年 | 1609年(慶長14年) |
| 初代城主 | 前田利長 |
| 有名城主 | 前田利長 |
| 最終城主 | 前田利長(廃城後は加賀藩の米蔵・番所として管理) |
| お城の役割 | 前田利長の隠居城、有事における加賀藩の臨時の戦闘拠点 |
| 廃城の経緯・時期 | 1615年(元和元年)の一国一城令にともない廃城。 |
| 城域規模 | 城の総面積の約3分の1が水堀という、堀と土塁に守られた広大な平城 |
歴史解説・深掘り
高岡城は1609年、前田利長が自らの隠居城として築城しました。キリシタン大名であり築城の名手でもあった高山右近が設計(縄張り)を手掛けたと伝わっています。最大の特徴は、広大な水堀が全体の3割を占め、5つの郭がそれぞれ独立した島のように配されている点です。これにより、有事に橋を切り落とすことで個別の要塞として機能する実戦的な防御力を誇っていました。