多賀城 (たがじょう)
多賀城創建1300年記念事業として、史実に基づき実物大で美しく木造復元された「外郭南門」
画像出典: Wikimedia Commons (CC BY-SA / 作者: Wikimedia Commons Contributor)
「多賀城(たがじょう)」は、宮城県多賀城市にある奈良・平安時代の古代城柵(国府)です。神亀元年(724年)、大野東人によって東北地方の政治・軍事の拠点として築かれました。奈良の平城宮跡、福岡の太宰府跡と並び「日本三大史跡」の一つに数えられる広大な特別史跡です。対エミシ政策の最前線基地である「鎮守府(ちんじゅふ)」や、東北全域の行政を担当した「陸奥国府(むつこくふ)」として機能し、約900メートル四方の敷地には粘土を固めた築地塀や木柵が巡らされ、中央には都の宮殿を模した政庁が整然と配置されていました。元禄2年(1689年)にこの地を訪れた松尾芭蕉が、千数百年の風雪に耐えて残る日本三古碑の一つ「多賀城碑(壺の碑、国宝)」を目にして深く涙したエピソードでも知られています。2024年(令和6年)には創建1300年を迎え、往時の正門である巨大な二階建ての「外郭南門(がいかくなんもん)」が史実に基づき実物大の木造で復元・公開され、古代東北の表玄関の雄大な姿を現代に伝えています。
お城の基本スペック
一次史料や公式サイトなどから調査したお城の基本情報です。
| 天守構造 | 古代の城柵であるため天守や近世石垣は存在しない。中央の政庁跡や、新しく復元された「外郭南門」が主な見どころ。 |
|---|---|
| 築城年 | 724年(神亀元年) |
| 初代城主 | 大野東人(おおののあずまひと) |
| 有名城主 | 大野東人(按察使兼鎮守府将軍)、藤原朝狩(多賀城修造)、坂上田村麻呂(征夷大将軍) |
| 最終城主 | 中世には国府の機能が他所に移り廃城。江戸時代には仙台藩の保護下に入った。 |
| お城の役割 | 陸奥国府、鎮守府(東北地方の古代政治・軍事・文化の最高行政機関) |
| 廃城の経緯・時期 | 10世紀中頃に実質的な機能を失い衰退。江戸時代に松尾芭蕉ら文人が数多く来訪した。 |
| 城域規模 | 約900メートル四方を築地塀で囲み、内部に政庁や官衙を配した古代城柵 |
歴史解説・深掘り
多賀城は724年に大野東人によって築かれ、2024年に創建1300周年を迎えました。これを記念して発掘調査データを元に、往時の「外郭南門」が伝統木造工法で実物大復元され、古代東北の偉容を伝えています。城跡に建つ「多賀城碑(壺の碑)」は国宝に指定されており、奈良時代の多賀城の歴史を今に伝える極めて貴重な文字資料です。1689年に訪れた松尾芭蕉が、数々の古跡が失われる中でこの碑が厳然と残されていることに涙したエピソードは『奥の細道』の中でも有名です。