篠山城 (ささやまじょう)
平成12年に復元された巨大な大書院(おおしょいん)。江戸初期の豪壮な雰囲気が再現されている
画像出典: Wikimedia Commons (CC BY-SA / 作者: Wikimedia Commons Contributor)
「篠山城」は、兵庫県丹波篠山市にある、徳川家康が豊臣氏(大坂城)に対する包囲網の要として、西国の大名たちを動員して築かせた天下普請の平山城です。築城の名手として知られる藤堂高虎が縄張り(設計)を担当し、わずか数ヶ月という驚異的な短期間で完成されました。高石垣と非常に幅の広い空堀・水堀を幾重にも巡らせたその強固な防衛システムは、のちの大坂の陣において大いに機能しました。あまりにもお城の基礎防衛力が完璧に設計されていたため、家康の命によりあえて天守は築かれませんでした。城内の中心には、京都・二条城の二の丸御殿にも匹敵する規模を誇る壮麗な「大書院(おおしょいん)」が建てられましたが、昭和19年に失火で焼失。その後、市民の熱意と宮大工の木造技術により、平成12年(2000年)に見事に史実通り復元されました。現在は篠山城跡公園として整備され、巨大な大書院と壮大な石垣のコントラストが多くの人々を魅了しています。
お城の基本スペック
一次史料や公式サイトなどから調査したお城の基本情報です。
| 天守構造 | 天守台はあるが、城郭防衛力が堅固すぎたため家康の命により天守は最初から築かれなかった。 |
|---|---|
| 築城年 | 1609年(慶長14年)に約半年の突貫工事で完成。 |
| 初代城主 | 徳川家康(天下普請)、藤堂高虎(縄張り設計) |
| 有名城主 | 松平康重、青山忠裕 |
| 最終城主 | 青山忠敏(篠山藩最後代の藩主) |
| お城の役割 | 豊臣氏に対する大坂包囲網の要衝、山陰道と山陽道を抑える軍事拠点 |
| 廃城の経緯・時期 | 1873年(明治6年)の廃城令により大書院以外の建物が解体。1944年に大書院も焼失したが2000年に木造復元された。 |
| 城域規模 | 篠山盆地の中央に広がる、巨大な高石垣と広大な外濠・内濠を持つ平山城 |
歴史解説・深掘り
1609年、大坂城の豊臣秀頼を包囲するために諸大名を動員して築かれた篠山城。本丸の北西角に天守台(石垣の基礎)が設けられているものの、天守はついに建築されませんでした。縄張りを担当した藤堂高虎の防衛設計が極めて完璧で実戦的であったため、さらに天守を築けば家康から謀反の疑いを招く(または徳川が他藩の戦意を刺激するのを避けた)とされ、天守を不要とする家康の命により省略されたと伝わっています。実戦主義を追求した結果としての「天守なし」は、当時の緊迫した政治背景を物語っています。