大洲城 (おおずじょう)
古写真や木組み模型に基づき完全木造復元された4重4層の木造天守
画像出典: Wikimedia Commons (CC BY-SA / 作者: Wikimedia Commons Contributor)
「大洲城」(別名・地蔵ヶ岳城)は、清流・肱川(ひじかわ)を望む高台にそびえる近世城郭です。鎌倉時代末期に宇都宮豊房が築いた城郭を始まりとし、築城の名手・藤堂高虎や脇坂安治らによって近世城郭へと整備されました。江戸時代には加藤氏が大洲藩6万石の主として明治維新まで治めました。明治期に天守は解体されましたが、奇跡的に遺されていた明治初期の古写真や木組みの立体模型(天守雛形)といった豊富な史料に基づき、2004年に戦後初となる伝統木造工法による4重4層の天守が完全復元されました。現存する4棟の三重櫓(台所櫓、高欄櫓など)は国の重要文化財に指定されており、清流に映える木造復元天守と優美な櫓群が城郭ファンを魅了しています。
お城の基本スペック
一次史料や公式サイトなどから調査したお城の基本情報です。
| 天守構造 | 4重4層の複合連結式天守。明治期に解体されたが、古写真や天守雛形に基づき2004年に戦後初となる本格木造復元が完成。 |
|---|---|
| 築城年 | 1331年(元弘元年)頃 |
| 初代城主 | 宇都宮豊房 |
| 有名城主 | 藤堂高虎、脇坂安治、加藤貞泰 |
| 最終城主 | 加藤泰秋(明治の廃城にともない廃城) |
| お城の役割 | 伊予国大洲藩6万石の本拠地、肱川の河川交通を押さえる軍事・政治の要衝 |
| 廃城の経緯・時期 | 1888年に老朽化のため天守が解体。4棟の櫓(台所櫓・高欄櫓等)が奇跡的に現存保存される。 |
| 城域規模 | 肱川の蛇行する河畔の丘陵に本丸・二の丸・三の丸を配置し、高石垣で固めた平山城 |
歴史解説・深掘り
大洲城の天守は明治21年に解体されましたが、明治初期に撮影された古写真や、木組みの立体模型である「天守雛形」が奇跡的に残されていました。これら豊富な一次史料に基づき、2004年に日本伝統の木造軸組工法によって4重4層の天守が復元されました。現代における城郭木造復元の金字塔として高く評価されています。