大分府内城 (おおいたふないじょう)
平成8年に絵図を元に木造復元された本丸と二の丸を繋ぐ美しい廊下橋(ろうかばし)
画像出典: Wikimedia Commons (CC BY-SA / 作者: Wikimedia Commons Contributor)
「大分府内城(府内城)」は、大分県大分市にある、豊臣秀吉の家臣・福原直高が築城を開始し、慶長6年(1601年)に入封した竹中重利が完成させた近世平城です。竹中重利は名軍師・竹中半兵衛の従弟であり、石垣や堀を大規模に整備し、4重の壮麗な天守や数多くの櫓を築き上げました。築城当初は別府湾に近く、大分川の河口付近の湿地帯を利用して建てられたため、満潮時には北側の城壁が海水に洗われ、まるで水上に浮かんでいるかのような優美な姿から「白鷺城(しらさぎじょう)」や「多良尾城(たらおじょう)」の別名で呼ばれました。江戸時代中期の1743年に大火で天守などを焼失、昭和20年の大分大空襲で残存していた着物櫓なども失われましたが、本丸と二の丸を繋ぐ屋根付きの美しい木造の「廊下橋(ろうかばし)」が平成8年に復元され、現在は大手門や西の丸西南隅櫓とともに、お城のシンボルとして大分城址公園の中に美しく佇んでいます。
お城の基本スペック
一次史料や公式サイトなどから調査したお城の基本情報です。
| 天守構造 | かつては4重の壮麗な天守が存在したが、1743年(寛保3年)の大火で焼失し、以後は再建されなかった。 |
|---|---|
| 築城年 | 1597年(慶長2年)に築城開始、1602年頃に竹中氏により完成。 |
| 初代城主 | 福原直高、竹中重利(大改修・完成) |
| 有名城主 | 竹中重利(初代府内藩主)、松平忠昭(大給松平初代) |
| 最終城主 | 松平近説(府内藩最後代の藩主) |
| お城の役割 | 府内藩2万石の藩庁、豊後国の行政の中心地 |
| 廃城の経緯・時期 | 1872年(明治5年)に廃城。1945年の空襲で残存櫓が消失したが、のちに廊下橋や隅櫓などが復元された。 |
| 城域規模 | かつて北側が海に接していた、水堀と総石垣で囲まれた平城 |
歴史解説・深掘り
大分府内城は、大分川の旧河口と別府湾に接する低湿地に築かれたため、満潮時には北側の城壁が海水に浮かんでいるように見え、別名「白鷺城」とも称されました。本丸と二の丸を結ぶ「廊下橋」は、屋根と壁で覆われた廊下状の構造をしており、警備や天候の影響を防ぐ目的で架けられていました。平成8年に史実に忠実に木造復元され、水濠と石垣の美しさを際立たせる大分城址公園のシンボルとして甦りました。