七尾城 (ななおじょう)
城山の本丸跡に残る、野面積みの美しい石垣。戦国山城の面影を色濃く残している
画像出典: Wikimedia Commons (CC BY-SA / 作者: Wikimedia Commons Contributor)
「七尾城」は、能登半島の主峰・城山(標高約300m)を中心に、七つの尾根(尾)に渡って無数の曲輪が配された、戦国期日本屈指の超巨大山城です。室町・戦国時代を通じて能登国を支配した守護大名・能登畠山氏の居城として、15世紀前半から約150年にわたり拡張され続けました。山城でありながら、随所に立派な石垣(野面積み)が築かれ、その防衛力は天下に名だたる難攻不落を誇りました。最も有名な歴史は、1576年から始まった上杉謙信による包囲戦(七尾城の戦い)です。謙信の猛攻に対し、畠山方は領民ら1万人以上を城内に避難させて徹底抗戦しましたが、長期の籠城による衛生悪化から疫病が蔓延し、幼君・春王丸も病死しました。最後は重臣・遊佐続光らの裏切りによって落城しました。落城直後、謙信が中秋の名月を愛でながら詠んだ『九月十三夜陣中の作』の漢詩は非常に有名です。のちに能登を与えられた前田利家が入城しましたが、港に近い小丸山城の築城に伴い、1582年に廃城となりました。
お城の基本スペック
一次史料や公式サイトなどから調査したお城の基本情報です。
| 天守構造 | 天守は築かれず、本丸には城主の居館である「本丸御殿」や櫓が建てられていたが、廃城時に撤去された。 |
|---|---|
| 築城年 | 15世紀前半(1400年代前半)に築城され、16世紀にかけて拡張を重ねる。 |
| 初代城主 | 能登畠山氏初代・畠山満慶(応永年間〜正長年間に築城開始) |
| 有名城主 | 畠山義統、畠山義慶、前田利家 |
| 最終城主 | 前田利家(廃城に伴い、小丸山城へ移転) |
| お城の役割 | 能登畠山氏の領国支配拠点、能登国の軍事・政治の中心地 |
| 廃城の経緯・時期 | 1582年(天正10年)頃、前田利家が港と城下町に近い小丸山城へ移転したため廃城となる。 |
| 城域規模 | 標高300mの城山山頂から七つの尾根に広がる、日本屈指の規模を誇る連郭式山城 |
歴史解説・深掘り
1577年(天正5年)9月、激戦の末に七尾城を陥落させた上杉謙信は、本丸に入城し、中秋の名月(9月13日夜)を迎えました。その夜、謙信は城内から見下ろす七尾湾の情景と冴え渡る月、そして故郷である春日山城を想い、有名な漢詩『九月十三夜陣中の作』を即興で吟じました。武神と恐れられた謙信の、極めて繊細で優れた文人としての側面を伝える、日本文学史・歴史的にも非常に高名なエピソードです。