名護屋城 (なごやじょう)
豊臣秀吉の大本営。本丸石垣と玄界灘を望む特別史跡・名護屋城跡
画像出典: Wikimedia Commons (CC BY-SA / 作者: Wikimedia Commons Contributor)
「名護屋城」(佐賀県唐津市)は、文禄・慶長の役において豊臣秀吉が朝鮮半島への出兵拠点(大本営)として築いた壮大な城郭です。黒田孝高(官兵衛)らが縄張りを担い、大坂城に次ぐ当時日本第2の広さ(約17万平米)を誇る巨城がわずか数ヶ月で完成しました。城の周囲半径3km以内には、徳川家康、伊達政宗、加藤清正、真田昌幸、前田利家など全国から集結した130名以上の戦国大名の陣屋(陣跡)が構築され、巨大な城郭都市が形成されました。現在は国の特別史跡に指定され、広大な本丸・二の丸の石垣遺構と玄界灘を望む雄大な景観が戦国時代末期の歴史を現代に伝えています。
お城の基本スペック
一次史料や公式サイトなどから調査したお城の基本情報です。
| 天守構造 | かつて本丸に5重7層の天守が存在した。現在は広大な天守台石垣遺構が残る。 |
|---|---|
| 築城年 | 1591年(天正19年)〜1592年(文禄元年) |
| 初代城主 | 豊臣秀吉(縄張り:黒田孝高、奉行:浅野長政) |
| 有名城主 | 豊臣秀吉、徳川家康、伊達政宗、加藤清正、前田利家 |
| 最終城主 | 豊臣秀吉(秀吉死後、徳川家康らにより破却) |
| お城の役割 | 文禄・慶長の役における豊臣秀吉の大本営、全国大名集結の城郭都市 |
| 廃城の経緯・時期 | 1598年の秀吉死後、城郭の大部分が破却。石垣や陣跡群が国の特別史跡に指定。 |
| 城域規模 | 約17万平米の城郭と、周囲3kmに130以上の武将陣跡が広がる巨大遺構群 |
歴史解説・深掘り
名護屋城は文禄・慶長の役において豊臣秀吉が築いた広大な城郭です。周囲3km以内に徳川家康、伊達政宗、加藤清正、前田利家ら130名を超える大名が独自の陣屋を構築し、日本史上類を見ないオールスター武将の集結地となりました。遺構群は特別史跡に指定されています。