長篠城 (ながしのじょう)
現在も残る長篠城跡の本丸を取り囲む巨大な空堀と土塁
豊川と宇連川の合流点、断崖絶壁に築かれた天然の要害。織田・徳川連合軍と武田軍が決戦を行った「長篠の戦い」の舞台であり、足軽・鳥居強右衛門の命を賭した忠義の伝説が眠っています。
お城の基本スペック
一次史料や公式サイトなどから調査したお城の基本情報です。
| 天守構造 | なし(本丸を囲む土塁と櫓が中心) |
|---|---|
| 築城年 | 1508年(永正5年) |
| 初代城主 | 菅沼元成 |
| 有名城主 | 奥平信昌(貞昌) |
| 最終城主 | 奥平信昌(長篠の戦い後、新城城に移転し廃城) |
| お城の役割 | 三河国の防衛拠点、武田軍に対する抑え |
| 廃城の経緯・時期 | 1576年(天正4年)に廃城(新城城へ機能移設) |
| 城域規模 | 豊川と宇連川の合流点にある天然の断崖を活用した平山城 |
歴史解説・深掘り
長篠城は1575年、武田勝頼の15,000の軍勢に完全に包囲されました。城主・奥平信昌はわずか500人の兵で守り、足軽・鳥居強右衛門の命がけの伝令によって、織田信長・徳川家康の連合軍38,000を呼び寄せました。強右衛門は城の直前で捕まり、「援軍は来ない」と叫ぶよう脅されましたが、それに屈せず真実を城に叫び、磔刑に処されました。彼の命がけの言葉が城兵を鼓舞し、長篠の戦いの決定的な勝利に繋がったのです。