盛岡城 (もりおかじょう)
「盛岡城」は、南部藩南部氏の居城で、別名「不来方城(こずかたじょう)」とも呼ばれます。天守を持たない土塁主体の城郭が多い東北地方において、非常に珍しい「総石垣」の美しい城壁が最大の特徴です。築城は1597年に南部信直によって開始され、2代利直の時代に完成しました。石垣には地元の花崗岩(かこうがん)がふんだんに使われ、野面積み、打込ハギ、切込ハギなど、時代や場所によって異なる美しい積み方を見ることができます。明治時代に建物はすべて解体されましたが、現在は「盛岡城跡公園」として市民に親しまれ、郷土の文学者・石川啄木や宮沢賢治もこの城跡を深く愛し、数々の作品に登場させています。
お城の基本スペック
一次史料や公式サイトなどから調査したお城の基本情報です。
| 天守構造 | かつては三重の天守(御三階櫓)が存在したが、江戸初期の落雷で焼失した後は再建されなかった。 |
|---|---|
| 築城年 | 1597年(慶長2年)に不来方城跡にて築城開始、1633年(寛永10年)に藩庁が盛岡城に移転し完成 |
| 初代城主 | 南部信直(築城開始)、南部利直(完成) |
| 有名城主 | 南部信直、南部利直、南部重直 |
| 最終城主 | 南部利恭(盛岡藩15代藩主) |
| お城の役割 | 盛岡藩南部家20万石の藩庁、陸奥国北部の統治拠点 |
| 廃城の経緯・時期 | 明治4年(1871年)の廃城令により全ての建物が解体。現在は本丸・二ノ丸の石垣のみが完存し、国の史跡に指定されている。 |
| 城域規模 | 北上川、中津川、清水川に囲まれた亀甲丘陵に築かれた連郭式平山城 |
歴史解説・深掘り
戦国末期から江戸時代初期にかけて東北地方で築かれた城郭の多くは、土塁を用いた泥臭い防衛網が主流でした。しかし、南部藩南部利直が完成させた盛岡城は、敷地内の随所から切り出された良質な花崗岩を贅沢に用い、高く頑丈な石垣をめぐらせました。これは、石垣の技術が極まった近世城郭の東北における最高峰の傑作とされています。