松代城 (まつしろじょう)
平成16年に史実に基づいて忠実に木造復元された太鼓門(たいこもん)と美しい内堀
画像出典: Wikimedia Commons (CC BY-SA / 作者: Wikimedia Commons Contributor)
「松代城」は、長野県長野市松代町にある、戦国時代の武田信玄と上杉謙信の激闘「川中島の戦い」の歴史を今に伝える名城です。元々は「海津城(かいづじょう)」と呼ばれ、千曲川の旧流路を背後にした天然の要害にあり、武田信玄が天才軍師・山本勘助に命じて築城させたと伝わっています。有名な第4次川中島の戦いでは武田軍の本陣となり、軍師・山本勘助は海津城から謙信の陣(妻女山)を奇襲して挟み撃ちにする「きつつき戦法」を考案しました。江戸時代の1622年(元和8年)には、真田幸村の兄である名将・真田信之が上田城から十万石で移封され、以後は明治の廃城まで真田家が10代にわたって松代藩の政庁として治め続けました。明治初期に廃城となり建物は取り壊されましたが、2004年(平成16年)に太鼓門や北不明門、石垣、堀などが当時の工法を用いて復元されました。現在でも真田十万石の面影を残す武家屋敷が並ぶ城下町のシンボルとなっています。
お城の基本スペック
一次史料や公式サイトなどから調査したお城の基本情報です。
| 天守構造 | 天守は当初から築かれず、本丸の戌亥櫓などが天守の役割を代替していた。 |
|---|---|
| 築城年 | 1560年頃に海津城として創築され、江戸初期の真田氏入封後に近代的な総石垣の平城に大改修される。 |
| 初代城主 | 武田信玄(伝・山本勘助が縄張り) |
| 有名城主 | 真田信之(初代松代藩主)、真田幸道、真田幸貫 |
| 最終城主 | 真田幸民(松代藩最後代の藩主) |
| お城の役割 | 松代藩の藩庁、信濃国北部の行政・軍事の中心地 |
| 廃城の経緯・時期 | 1872年(明治5年)の廃城令に先立ち解体。のちの火災で残存施設もほぼ消失した。 |
| 城域規模 | 千曲川の旧流路を背後に擁した、本丸石垣と二の丸で構成された強固な平城 |
歴史解説・深掘り
松代城(旧名・海津城)は、千曲川の旧流路に沿った軍事要衝に築かれました。川中島の戦いでは武田側の本営となり、1561年の第4次合戦では上杉謙信の本陣である妻女山と対峙。山本勘助の「きつつき戦法」の発案地となりました。謙信が奇襲を察知して海津城から上がる炊き出しの煙で動きを見抜き、密かに夜陰に乗じて山を下りたことで、有名な八幡原の戦いが勃発したと言われています。戦国屈指の頭脳戦のスタート地点として歴史的価値が極めて高い名城です。