松本城 (まつもとじょう)
長野県松本市にある国宝の城。大天守や乾小天守など5棟が連結された美しい天守群を持ち、黒漆塗りの壁面と北アルプスの山々の調和が特徴です。現存する五重天守としては日本最古です。
お城の基本スペック
一次史料や公式サイトなどから調査したお城の基本情報です。
| 天守構造 | 五重六階(大天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓が連結された連結複合式) |
|---|---|
| 築城年 | 1504年頃に小笠原氏の家臣・島立貞永が前身の深志城を築城。1590年代に石川氏が現在の国宝天守を造営 |
| 初代城主 | 石川数正・康長父子(本格的な近世城郭の築城) |
| 有名城主 | 石川数正、小笠原秀政、松平直政、戸田光則 |
| 最終城主 | 戸田光則 |
| お城の役割 | 信濃国(現在の長野県)の統治の重要拠点、東国・北国への街道の結節点を守る防御の要塞 |
| 廃城の経緯・時期 | 明治初期(廃藩置県後に廃城となり天守が競売にかけられるも、地元の有志・市川量造らにより買い戻され保存。昭和の修理などを経て国宝保存) |
| 城域規模 | 総面積:約23.5万㎡(史跡指定範囲約7.5万㎡) |
歴史解説・深掘り
「貞享騒動(加助騒動)」は、貞享3年(1686年)に松本藩で起きた大規模な百姓一揆です。藩による過酷な年貢増徴に対し、多田加助ら農民代表が年貢減免を求めて松本城へ直訴を行いました。藩側は一旦要求を受け入れる姿勢を見せて農民を解散させましたが、後に約束を反故にして加助ら一族や首謀者28名を逮捕し処刑しました。加助が刑場で磔にされた際、松本城の天守を睨みつけながら「二斗五升!」と叫んで絶命し、その祟りで天守が傾いたという伝説が生まれました。実際には、天守台の内側にある支持柱が長年の歳月で腐食し沈下したことが原因ですが、明治・大正期まで広くこの祟り伝説が語り継がれていました。