郡山城 (こおりやまじょう)
毛利元就が中国地方制覇の拠点とした巨大山城・吉田郡山城の本丸跡
画像出典: Wikimedia Commons (CC BY-SA / 作者: Wikimedia Commons Contributor)
「郡山城」(吉田郡山城 / 広島県安芸高田市)は、稀代の智将・毛利元就が生涯の本拠地とし、一代で中国地方10カ国を統べる大大名へと飛躍した巨大山城(国の史跡・日本100名城第72番)です。標高390mの郡山全山に270以上もの曲輪群が放射状に配置され、山全体が難攻不落の一大軍事要塞を形成していました。天文9年(1540年)の「吉田郡山城の戦い」では、尼子詮久率いる3万の大軍をわずか3千の寡兵と知略、毛利一門の結束で撃退。「三本の矢」の教訓や「百万一心」の刻石など、今なお語り継がれる歴史遺産の宝庫です。
お城の基本スペック
一次史料や公式サイトなどから調査したお城の基本情報です。
| 天守構造 | なし(本丸を中心に270以上の曲輪が山全体に展開する戦国期連郭式山城) |
|---|---|
| 築城年 | 1336年頃に毛利時親が築城。天文年間に毛利元就が全山を要塞化する大拡張を実施 |
| 初代城主 | 毛利時親(建武3年・1336年頃) |
| 有名城主 | 毛利元就、毛利隆元、毛利輝元 |
| 最終城主 | 毛利輝元(慶長5年・関ヶ原の戦い後に萩城へ移封) |
| お城の役割 | 毛利氏の本拠地、安芸国および中国10カ国統治の大拠点 |
| 廃城の経緯・時期 | 1600年関ヶ原の戦い後、毛利輝元の萩移封に伴い廃城。一国一城令により破却。国の史跡。 |
| 城域規模 | 標高390m、比高約190m、東西約1km・南北約1kmの郡山全域に広がる西日本最大級の山城 |
歴史解説・深掘り
吉田郡山城は毛利氏が約260年間にわたり本拠とした山城です。毛利元就の時代に山全体を要塞化し、尼子軍との大激戦を制しました。本丸跡や元就の墓所、元就が息子たち(隆元・元春・隆景)の団結を願った「三本の矢」の逸話が色濃く残る名城です。