甲府城 (こうふじょう)
「甲府城」(別名・舞鶴城)は、武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命により関東の徳川家康を牽制する要衝として浅野長政・幸長親子らによって築かれた総石垣の平山城です。武田氏の土塁主体の居館(躑躅ヶ崎館)とは対照的に、豊臣の圧倒的な権威を示す見事な高石垣と壮麗な天守台がそびえ立つ近世城郭です。江戸時代には徳川一門や将軍側近の柳沢吉保が城主となり、本丸御殿や庭園が美しく整備され、甲府は「甲斐の小江戸」と呼ばれるほどに経済と文化が栄えました。現在は「舞鶴城公園」として天守台や石垣が保存・整備され、天守台からは周囲の甲府盆地と、天気が良ければ雄大な富士山を一望できます。近年、山手門や稲荷櫓などの木造復元も進み、甲斐の歴史を今に伝えるシンボルとなっています。
お城の基本スペック
一次史料や公式サイトなどから調査したお城の基本情報です。
| 天守構造 | 天守台は残るものの、かつて実際に木造の天守が建てられていたかについては現在も歴史的論争が続いている。 |
|---|---|
| 築城年 | 1590年代前半(天正〜文禄年間)頃 |
| 初代城主 | 浅野長政、浅野幸長 |
| 有名城主 | 浅野長政、平岩親吉、柳沢吉保 |
| 最終城主 | 甲府勤番(江戸幕府直轄、明治の廃城にともない廃城) |
| お城の役割 | 関東の徳川家康を監視・牽制する豊臣方の最前線要塞、甲斐国の中心地 |
| 廃城の経緯・時期 | 1727年の大火により本丸や二の丸の御殿が焼失。1873年の廃城令により大半の建物が解体された。 |
| 城域規模 | 一条小山の地形を活かし、本丸・二の丸・三の丸を豪壮な総石垣で連結した平山城 |
歴史解説・深掘り
甲府城は武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命令により浅野長政・幸長らによって築かれました。関東の徳川家康に対する防衛と監視の最前線要塞であり、武田氏の簡素な館とは対照的に、豊臣政権の権力を誇示する巨大な「総石垣」の設計となっています。