岩村城 (いわむらじょう)
本丸の崩落を防ぐために雛壇状に積み上げられた見事な「六段壁」の石垣
画像出典: Wikimedia Commons (CC BY-SA / 作者: Wikimedia Commons Contributor)
「岩村城」は、岐阜県恵那市に築かれた日本一標高の高い場所(本丸標高717m)にある山城であり、奈良県の高取城、岡山県の備中松山城と並び『日本三大山城』の一つに数えられます。鎌倉時代の1185年、源頼朝の重臣・加藤景廉が地頭に任ぜられて以来、遠山氏が代々支配しました。最大の特徴は、高低差180mの急峻な天険の地形を活かした強固な縄張りと、本丸跡に残るひな壇状の石垣『六段壁(ろくだんかべ)』などの美しい石垣群です。また、多くの歴史的逸話に彩られており、特に有名なのが戦国時代の『女城主・おつやの方』の悲劇です。織田信長の叔母であるおつやの方は、夫の死後、実質的な女城主として城を切り盛りしていました。しかし1572年、武田信玄の西上作戦で武田方の名将・秋山信友に包囲され、降伏と引き換えに秋山と結婚(婚姻同盟)しました。のちに城を奪還した信長は、叔母のおつやの方と秋山を逆臣として逆さ磔に処しました。また、敵が攻めてきた際に秘蔵の蛇骨を井戸に投げ入れると霧が立ち込めて城を隠したという伝説から、別名『霧ヶ城』とも呼ばれます。
お城の基本スペック
一次史料や公式サイトなどから調査したお城の基本情報です。
| 天守構造 | 天守は築かれず、本丸の二重櫓(二重門の上部)がその役割を担っていた。 |
|---|---|
| 築城年 | 1185年(文治元年)に創築と伝わり、戦国後期から江戸初期にかけて総石垣の近世城郭へ改修。 |
| 初代城主 | 遠山氏祖・加藤景廉(1185年に地頭となり、土塁の城を築く) |
| 有名城主 | おつやの方(女城主)、秋山信友、森蘭丸、松平家乗 |
| 最終城主 | 松平乗命(三河大給松平家・岩村藩最後代の藩主) |
| お城の役割 | 東美濃の防衛の要衝、岩村藩の藩庁(藩政は山麓の藩主邸にて実施) |
| 廃城の経緯・時期 | 1873年(明治6年)の廃城令により大半の建物が取り壊されたが、石垣はほぼ完全な状態で現存。 |
| 城域規模 | 本丸の標高717m、高低差180mの天険を誇る、日本一標高の高い連郭式山城 |
歴史解説・深掘り
岩村城は、大和高取城・備中松山城と並び日本三大山城の一つに数えられ、江戸期の藩庁が存在した城としては日本一の標高(717m)に位置します。本丸跡の東面に残る「六段壁」は、崩落防止の補強として最上段の石垣の下に順次石垣を継ぎ足した結果、雛壇のような美しい六重の防壁となりました。また、霧が深く「霧ヶ城」の別名があり、敵が迫ると井戸に蛇骨を投じて霧を起こし城を隠したという伝説もあります。