岩国城 (いわくにじょう)
日本三名橋「錦帯橋」の背後にそびえる山城。吉川広家によって築かれたが、一国一城令によりわずか7年で廃城となった悲劇の歴史を持ち、独特な「南蛮造り」の天守が再現されています。
お城の基本スペック
一次史料や公式サイトなどから調査したお城の基本情報です。
| 天守構造 | 4重6階(南蛮造り・1962年RC造にて外観復興) |
|---|---|
| 築城年 | 1608年(慶長13年) |
| 初代城主 | 吉川広家 |
| 有名城主 | 吉川広家、吉川広正 |
| 最終城主 | 吉川広正 |
| お城の役割 | 岩国領の政治的・軍事的な統治拠点 |
| 廃城の経緯・時期 | 1615年(元和元年)の一国一城令により自ら天守を破却(廃城) |
| 城域規模 | 標高約200メートルの城山山頂に築かれた山城。麓に居館を置く。 |
歴史解説・深掘り
岩国城は関ヶ原の戦いで主家存続のために不戦を貫き、岩国に移封された吉川広家によって築かれました。天守は上の階が張り出した「南蛮造り(唐造り)」という全国でも極めて珍しい構造でしたが、完成からわずか7後の1615年、一国一城令により主家の萩城を残して岩国城は破却を余命され、広家は自ら天守を取り壊しました。現在の天守は1962年に麓からの美観を考慮して少しずれた位置に再建されたものです。