人吉城 (ひとよしじょう)
球磨川に面した美しい石垣。最上部がひさしのように突出した「はね出し石垣」が特徴的
画像出典: Wikimedia Commons (CC BY-SA / 作者: Wikimedia Commons Contributor)
「人吉城」は、熊本県人吉市にある、鎌倉時代から明治維新までの約700年間、一度の領地替えもなく相良(さがら)氏が支配し続けた極めて稀有な歴史を持つ平山城です。三大急流の一つである球磨川とその支流の胸川を天然の堀とした要塞で、球磨川沿いには見事な石垣が残っています。幕末の1862年(文久2年)に起きた大火からの復興の際、防火と防備を兼ねて石垣の最上部をひさし状にせり出させた、日本のお城では珍しい西洋式の「武者返し(はね出し石垣)」が導入されました。また、城内にある重臣・相良清兵衛の屋敷跡からは、平成になってから石造りの不思議な「地下室」が発見されました。この地下室には深い井戸や階段があり、キリシタンの隠れ礼拝堂や秘密の貯蔵庫とも言われていますが、その用途は今も謎に包まれています。明治初期の西南戦争では西郷軍の重要拠点となり、激しい戦闘の舞台となりました。現在は球磨川沿いに多聞櫓や角櫓が美しく木造復元され、人吉温泉街のシンボルとして親しまれています。
お城の基本スペック
一次史料や公式サイトなどから調査したお城の基本情報です。
| 天守構造 | 天守は築かれず、本丸に「天守台」のような石垣は存在するが、実際には二重櫓が置かれていた。 |
|---|---|
| 築城年 | 12世紀末に創築され、戦国末期から江戸初期(1639年)にかけて近代城郭として完成。 |
| 初代城主 | 相良頼景(1198年に砦を築く) |
| 有名城主 | 相良長毎、相良頼房、相良清兵衛(重臣) |
| 最終城主 | 相良頼基(人吉藩最後代の藩主) |
| お城の役割 | 相良氏の領国支配拠点、人吉藩の藩庁 |
| 廃城の経緯・時期 | 1871年(明治4年)の廃藩置県により廃城。1877年の西南戦争の戦火により残っていた建物が消失。 |
| 城域規模 | 球磨川と胸川を天然の堀とした、高石垣で囲まれた連郭式平山城 |
歴史解説・深掘り
人吉城の球磨川沿いに見られる石垣の最上部は、外側に平たい石がせり出した独特の形状をしています。これは「はね出し工法」と呼ばれ、幕末の1862年に発生した大火(丑の年火事)の後に、長州藩の武者返しを参考に改修されたものです。敵のよじ登りを阻止する実戦的な機能(武者返し)のほか、川の増水に対する石垣の崩壊防止、さらには川沿いの類焼を防ぐ防火帯としての目的を兼ね備えており、西洋式の合理主義が息づく珍しい遺構です。