広島城 (ひろしまじょう)
太田川の川沿いに美しくそびえ立つ、外観復元された広島城の天守閣
画像出典: Wikimedia Commons (CC BY-SA / 作者: Wikimedia Commons Contributor)
毛利輝元によって築かれ、福島正則、浅野氏へと受け継がれた西国屈指 of 平城です。太田川河口のデルタ地帯という広大な湿地帯に、大量の木杭を打ち込んで築かれた基礎の上にそびえていました。原爆投下により国宝の天守は崩壊しましたが、現在は美しい天守が復元され、広島のシンボルとして親しまれています。
お城の基本スペック
一次史料や公式サイトなどから調査したお城の基本情報です。
| 天守構造 | 複合連結式望楼型5重5階(戦前の国宝天守は原爆により倒壊、現在は鉄筋コンクリートで復元) |
|---|---|
| 築城年 | 1589年(天正17年)に着工、1599年(慶長4年)頃に完成 |
| 初代城主 | 毛利輝元 |
| 有名城主 | 毛利輝元、福島正則、浅野長晟 |
| 最終城主 | 浅野長勲 |
| お城の役割 | 広島藩42万石の藩庁、西国の防衛・経済の拠点 |
| 廃城の経緯・時期 | 1871年(明治4年)の廃藩置県により廃城、1945年(昭和20年)に原子爆弾の投下により国宝天守が崩壊。1958年に外観復元される |
| 城域規模 | 周囲:約3.2km(築城当時)、現在は本丸・二の丸と内堀が残る |
歴史解説・深掘り
毛利輝元は、中国地方の大半を支配する太守となりましたが、従来の山城である吉田郡山城(安芸高田市)は軍事的には強固なものの、商業や水上交通の便が悪いことが課題でした。そこで輝元は、太田川河口のデルタ地帯(島々が点在する低湿地)に広大な平城「広島城」を築く大プロジェクトを開始しました。足場が緩いため、地中に数万本もの松の木杭を打ち込んで地盤を強化し、1599年頃に完成しました。この築城によって周囲に武家屋敷や城下町が整備され、現在の政令指定都市「広島」へと繋がる都市の礎が築かれました。