平戸城 (ひらどじょう)
「平戸城」は、平戸藩主・松浦氏の居城で、別名「亀岡城」とも呼ばれます。初代藩主・松浦鎮信が1599年に築いた「日の岳城」が前身ですが、徳川家康からの内通の嫌疑を避けるため、完成間近の1613年に自ら火を放ち焼き払うという悲劇の歴史を持ちます。その後、100年の時を経て沿岸防備の重要性から再築城が許され、軍学者・山鹿素行の思想を取り入れた「山鹿流軍学」に基づき、1718年に現在の城郭が完成しました。平山城としては日本唯一の山鹿流による城郭であり、三方を平戸瀬戸の海に囲まれた天然の要害と美しい景観が特徴です。
お城の基本スペック
一次史料や公式サイトなどから調査したお城の基本情報です。
| 天守構造 | 三重五階(1962年に鉄筋コンクリート造で復元) |
|---|---|
| 築城年 | 1599年(慶長4年)に日の岳城として築城開始、1718年(享保3年)に現在の平戸城が完成 |
| 初代城主 | 松浦鎮信(日の岳城)、松浦棟(再建平戸城) |
| 有名城主 | 松浦鎮信、松浦棟、松浦清(静山) |
| 最終城主 | 松浦詮(平戸藩12代藩主) |
| お城の役割 | 平戸藩6万石の藩庁、西海沿岸警備の拠点 |
| 廃城の経緯・時期 | 明治期の廃城令により建物は北虎口門や狸櫓などの一部を除き解体。昭和37年に天守などが復元され、現在は亀岡公園として整備されている。 |
| 城域規模 | 亀岡丘陵に築かれた輪郭式平山城で、平戸瀬戸の海を天然の堀とする構造 |
歴史解説・深掘り
1599年(慶長4年)、松浦鎮信は平戸瀬戸を望む日の岳に「日の岳城」の築城を開始し、ほぼ完成に至りました。しかし1613年(慶長18年)、豊臣氏との内通や反逆の嫌疑をかけられることを防ぐため、鎮信自ら城に火を放ち破却しました。この徹底した従順の姿勢により、松浦家は江戸時代を通じて平戸藩6万石を改易されることなく維持することに成功しました。現在の平戸城は、この日の岳城の跡地に再建されたものです。