八王子城 (はちおうじじょう)
居館跡である御主殿跡へと架けられた、木造の曳橋と堂々たる復元石垣
画像出典: Wikimedia Commons (CC BY-SA / 作者: Wikimedia Commons Contributor)
「八王子城」は、北条氏康の三男・北条氏照が1582年(天正10年)頃に築城し、本拠を移転した関東屈指の規模を誇る中世最大級の山城です。現在の「八王子市」の市名の由来・発祥の地でもあります。豊臣秀吉の小田原征伐(1590年)の際、前田利家・上杉景勝率いる1万5000以上の圧倒的な北陸連合軍に攻め立てられ、城主の氏照が不在(小田原城に籠城中)のまま、守備兵や領民ら約3000名が守る城はわずか1日で落城しました。城内に残された多くの婦女子が「御主殿の滝」で次々と身を投げたという悲劇的な歴史を伝えています。徳川家康の入国後は廃城となり、幕府の直轄領(御料林)とされたため、石垣や敷石、山城ならではの地形や遺構がほぼそのままの形で残されました。近年、居館跡である「御主殿跡」へ渡る木造の「曳橋(ひきはし)」や、堂々たる石垣、敷石の虎口が忠実に復元され、山麓の居館部分と山上の要害部分の対比を体験できる国の史跡として整備されています。
お城の基本スペック
一次史料や公式サイトなどから調査したお城の基本情報です。
| 天守構造 | 中世の山城のため天守は存在しない。山頂の「本丸跡」にはかつて小規模な守護施設があったとされる。 |
|---|---|
| 築城年 | 1582年(天正10年)頃 |
| 初代城主 | 北条氏照 |
| 有名城主 | 北条氏照 |
| 最終城主 | 北条氏照(小田原落城後に切腹、八王子城は廃城) |
| お城の役割 | 小田原城の北面・西面を守る支城、北条氏の北関東支配の拠点 |
| 廃城の経緯・時期 | 1590年(天正18年)の落城後、徳川家康によって廃城。 |
| 城域規模 | 深沢山全体を要塞化し、巨大な空堀や石垣を備えた、関東最大級の山城 |
歴史解説・深掘り
八王子城は1582年頃、北条氏康の三男である北条氏照によって築かれました。守護神として祀られた「八王子権現」が、現在の「八王子市」という都市名の由来となっています。現在山麓には、居館跡である「御主殿跡」へと続く見事な石垣や、深い沢に架けられた木造の「曳橋(ひきはし)」が復元されており、中世山城の要害としての面影を今に伝えています。