月山富田城 (がっさんとだじょう)
「月山富田城」は、山陰の覇者・尼子氏が代々本拠地とした中世屈指の巨大な山城です。「日本五大山城」の一つに数えられ、標高約190m of 月山山頂に本丸を配し、山全体を強固な要塞へと仕立て上げています。毛利元就による二度にわたる猛攻を退け、最終的には力攻めではなく徹底的な兵糧攻めによってしか落とせなかったという「難攻不落」の名城です。尼子氏滅亡後、主家の再興を願い三日月に「我に七難八苦を与えたまえ」と祈り誓った山中鹿介(幸盛)の武勇伝・哀話が残るお城としても広く知られています。江戸時代初期に出雲へ入封した堀尾吉晴が平時の政務に便利な松江城を築いて拠点を移したことで廃城となりましたが、近年、山上の見事な石垣や山麓の御主殿跡などの復元整備が進み、国の史跡として往時の風格を今に伝えています。
お城の基本スペック
一次史料や公式サイトなどから調査したお城の基本情報です。
| 天守構造 | 中世の山城のため天守は存在しない。山頂の本丸には物見櫓などの木造施設があったとされる。 |
|---|---|
| 築城年 | 12世紀後半(鎌倉時代初期)頃 |
| 初代城主 | 佐々木義清(または尼子氏以前の源氏系守護) |
| 有名城主 | 尼子経久、尼子晴久、毛利元就、吉川広家、堀尾吉晴 |
| 最終城主 | 堀尾吉晴(松江城の築城にともない廃城) |
| お城の役割 | 山陰11カ国を支配した尼子氏の本拠地、山陰支配の軍事的・政治的中心 |
| 廃城の経緯・時期 | 1611年(慶長16年)に堀尾氏が松江城へ移転したため廃城。 |
| 城域規模 | 月山全体を要塞化し、峻険な谷と急勾配の七曲り道で防御を固めた日本最大級 of 要害山城 |
歴史解説・深掘り
月山富田城は鎌倉時代初期の築城と伝わり、戦国時代には中国地方11カ国を支配した尼子氏(あまごし)の本拠地となりました。峻険な地形で知られる日本屈指の山城で、毛利元就の二度にわたる総攻撃もことごとく撃退した「難攻不落」の伝説を持ちます。最後は力攻めではなく徹底的な兵糧攻めによって降伏開城となりました。