千早城 (ちはやじょう)
金剛山の中腹、うっそうとした杉林のなかに曲輪や堀切の遺構を残す千早城跡
画像出典: Wikimedia Commons (CC BY-SA / 作者: Wikimedia Commons Contributor)
「千早城」は、鎌倉時代末期に楠木正成が金剛山の中腹に築いた難攻不落の山城です。1333年の千早城の戦いでは、圧倒的な大軍を誇る鎌倉幕府軍に対し、正成はわずか1,000人足らずで籠城。「わら人形の計」や熱湯、大石を落とすなどの奇想天外なゲリラ戦術を駆使して城を守り抜きました。この戦いが幕府の権威を失墜させ、鎌倉幕府滅亡へと繋がる歴史の大きな転換点となりました。
お城の基本スペック
一次史料や公式サイトなどから調査したお城の基本情報です。
| 天守構造 | なし(中世の山城であり、天守や石垣は持たず、切岸、堀切、木柵などで構成) |
|---|---|
| 築城年 | 1332年(元弘2年 / 正慶元年)頃、楠木正成が金剛山の中腹に築城 |
| 初代城主 | 楠木正成 |
| 有名城主 | 楠木正成、楠木正儀 |
| 最終城主 | 楠木正儀 |
| お城の役割 | 南朝方の防衛拠点、鎌倉幕府対抗の軍事要塞 |
| 廃城の経緯・時期 | 南北朝時代の終焉とともに廃城 |
| 城域規模 | 東西約100m、南北約400mの尾根上に広がる |
歴史解説・深掘り
1333年の千早城の戦いにおいて、楠木正成は数万から数十万ともいわれる鎌倉幕府軍を相手に、わずか1,000人足らずの兵力で籠城しました。正成は夜間に藁人形で夜襲を擬装して敵の矢を射尽くさせ、翌朝その矢を回収する「わら人形の計」のほか、城壁を登る敵に対して熱湯や大石、丸太を投げ落とすなど、数々の奇策を用いて幕府軍を翻弄し、ついに城を守り抜きました。