会津若松城 (あいづわかまつじょう)
「鶴ヶ城」の愛称で親しまれる名城です。幕末の戊辰戦争(会津戦争)において激しい攻防戦の舞台となりました。現在は美しい赤瓦の天守が復元されています。
お城の基本スペック
一次史料や公式サイトなどから調査したお城の基本情報です。
| 天守構造 | 独立式層塔型、5重5階(1965年再建の鉄筋コンクリート造。2011年に赤瓦へ葺き替え) |
|---|---|
| 築城年 | 1593年(文禄2年)に蒲生氏郷により7重の天守が完成 |
| 初代城主 | 蒲生氏郷 |
| 有名城主 | 蒲生氏郷、松平容保 |
| 最終城主 | 松平容保(会津松平家) |
| お城の役割 | 奥州の要衝、会津藩の居城 |
| 廃城の経緯・時期 | 1868年(慶応4年)会津戦争で開城後、1874年(明治7年)までに解体 |
| 城域規模 | 不明 |
歴史解説・深掘り
戊辰戦争における会津若松城(鶴ヶ城)の籠城戦では、会津藩の砲術師範の娘であった山本八重が、女性でありながら断髪して男装し、当時最新鋭であったスペンサー連発銃を手に自ら城壁で戦いました。その果敢な姿から「幕末のジャンヌ・ダルク」と称され、後年、同志社大学を創設する新島襄と結婚し、教育者・篤志家としても活躍しました。